フランスについてのリスト
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フランスの自然と各地の特色
六角形の国土
農業国
イル・ド・フランス
ローヌ・アルプ
アルザス/ロレーヌ/シャンパーニュ
オーヴェルニュ
コート・ダジュール
プロヴァンス
コルシカ
ミディ・ピレネー/ラングドック
ロワール
ブルゴーニュ
大西洋岸/リムーザン
ブルターニュ
ノルマンディ/ノール/ピカルディ
フランスの歴史(パリの歴史中心)
フランク王国樹立、首都パリの誕生
中性西ヨーロッパの成立
魔女として火刑台に散った聖女伝説
ヴェルサイユ宮殿完成、豪華な時代の幕開け
フランス革命に翻弄された悲劇の妃
近代フランスの基礎を築いた国民の英雄
フランスを開放に導いた凄腕指導者
第5共和制のフランス
英雄ド・ゴールの再登場
“偉大なるフランスの復活”に腐心
欧州統合のリーダー役を務める
社会党政権から再び保守党政権へ
フランスの民族と言語
ラテン語から生まれたフランス語
ケルト文化を保守するブルトン人
スペイン国境近くに住むバスク人
フランスの街角と文化、芸術
モードの文化
カフェの文化
ヨーロッパの先進国
17世紀古典主義文学から19世紀ロマン主義文学へ
近代美術から現代美術へ
珍味かゲテモノか
シャトーで生まれるぶどうの芸術
祝日とイベント
祝祭日
イベント
建築様式
ロマネスク様式
ゴシック様式
ルネッサンス様式
バロック様式
今も昔も花の都『パリ』
広さと人口
中心部と周辺部
セーヌ川を挟んで右岸左岸
20区
・1,2,3,4,8,9区はビジネス・商業の中心地
・5区から7区は『パリの左岸』を指す
・10区から15区の庶民の暮らしがある
・16区から20区は右の住宅地
パリジャンの抵抗精神
パリ・モード
ラヴェンダー(ラヴァンド)の
花の咲く丘『プロヴァンス』
プロヴァンスの風物
香りの宝石

フランスの自然と各地方の特色
六角形の国土 フランスは“レクサゴーヌ”と呼ばれる事があります。“レクサゴール”とは”エグザゴン”、つまり、正六角形の事です。コレはフランスの国土がほぼ六角形をしているということに由来しています。
六角形の6辺のうち、3辺は海に面しています。英仏海峡、大西洋、地中海です。残りの3辺は陸で、うち2辺はピレネー山脈、アルプスとジュラ山脈になっています。こうしてみると、フランスは外敵からの侵入を比較的受けにくい土地柄だということがわかるでしょう。このようなリッチ条件があったからこそ、フランスは、他のヨーロッパ諸国に先駆け、国土を統一する事が出来たのです。
農業国 フランスは西ヨーロッパ屈指の農業国です。国土の80%は農地です。地中海に面した地域では地中海性気候、英仏海峡や大西洋の海岸一体は海洋性気候、北東フランスは大陸性気候、中央山地やアルプス、ピレネーなどの山岳遅滞は山岳性気候となっているので、それぞれ自然環境に適した農作物が生産されています。
水が豊なこともフランスの特徴です。ロワール河、セーヌ河、ガロンヌ河、ローヌ河の4大河が国土を流れています。
イル・ド・フランス パリを中心に広がる半径約150kmのエリアを”イル・ド・フランス”といます。緑豊な田園地帯で、中世以来、王侯貴族の狩り地になっていました。ルイ14世はこのエリアが気に入り、絢爛豪華なヴェルサイユ宮殿を建てました。フランス有数の森林、フォンテーヌブローがあり、森の反対側には、ミレーやルソーなどの芸術を生んだ村バルビゾンもあります。
ローヌ・アルプ フランス南東部、スイスとの国境を接する一体がロワール・アルプ地方ですロワールが河が流れていて、川沿いに道路や鉄道が集中しています。中心部は食の都として知られているリヨン。その北にはワインとして知られているボジョレーがあります。スイス国境に近いアルプス地方は、美しい景観で知られる山岳エリアです。高級リゾート地として知られるシャモニーや、冬季オリンピックが開催されたアルベールビルやグルノーブルがあります。
アルザス/ロレーヌ/シャンパーニュ フランス北東部、ヴォージュ山脈の東がアルザス、西がロレーヌです。このエリアは普仏戦争(1870−1871)の際にドイツに奪われて、フランス国民はその屈辱を胸に第一世界大戦を戦い、戦後に奪回した経験があります。一体は豊な自然と温厚な気候に恵まれており、アルザスはフランス有数のワイン産地として知られています。また、ロレーヌの西には、シャンパンの山地、シャンパーニュがあります。
オーヴェルニュ フランス中南部のマシス・サントラル(中心山地)に位置します。”オーベルニュ”とはフランス語で“田舎”という意味で、フランスでは最も開発の遅れた地域でした。しかし、そのおかげで自然が豊で、各種アウトドアが楽しめます。
コート・ダジュール フランス南部、地中海に面した一帯です。一年中、気候が温暖で、19世紀末頃からリゾートとして脚光を浴びました。ニースやカンヌなどの高級リゾートが有名ですが、サン・トロぺやマントン、アンチープなどの、ピカソら芸術家が愛した小さな海沿いの町も趣があります。
プロヴァンス コート・ダジュールの西、ローヌ河一帯をこう呼びます。ピーター・メイルが書いた『南仏プロバンスの12ヶ月』のヒットにより、日本でもプロバンス・ブームが起きた事は記憶に新しいと思います。中心都市は、マルセイユ、アヴィニョン、ニーム。コート・ダジュール同様、気候は穏やかです。夏も湿度が低く、とっても過ごしやすいです。
コルシカ 地中海に浮かぶ島で、ナポレオンが生まれた島として有名です。18世紀にフランス支配下に入ったが、今もコルシカ語(イタリア語のコルシカ方言)が話されており、独立運動も盛んなところです。豊な自然に恵まれたリゾートとしても人気が高いところです。
ミディ・ピレネー/ラングドック フランス南端に位置します。スペイン国境に近いエリアでは、フランスよりもカタロニア文化の影響が強い事があげられます。コート・ダジュール、プロバンス同様、地中海世気候に属しているため、気候は穏やかです。リオン湾沿いでは、リゾート開発が進められています。
ロワール ロワール川沿い、パリ南部のポース平野から南部のアンジュー地方にかけてをロワール地方と呼んでいます。川沿いの田園地帯には、中世の城が数多く点在し、“フランスの庭”とも呼ばれています。ここに城が多いのは、地の利の良さと温暖な気候が中性の王侯貴族に好まれたためです。広大なぶどう畑も広がっていて、美味しいワインと料理も名物となっています。
ブルゴーニュ フランス東端に広がる丘陸地帯です。ディジョンからの南の地域は、世界的なワインの産地として名高いです。また、チーズやマスタードの産地でもあります。ブルゴーニュ公の領土として、14〜15世紀には大いに栄えました。かつての首都ディジョンには、今も大公の宮殿が残っています。
大西洋岸/リムーザン フランス南西部、大西洋岸に広がるアキテーヌ地方とポアトゥ・シャラント地方、内陸部のリムーザン地方は、南フランスとほぼ変わらない温暖な気候のエリアです。ジロンド河口からバイヨンヌまで続くコート・ジャルダン(白銀海岸)には素朴なリゾートもあります。
アキテーヌ地方には、世界有数のワイン産地として知られるボルドーがあり、ポアトゥ・ロシェルは新鮮なカキが取れることで有名な港町です。リムーサン地方は高原地帯になっていて、花崗岩で造れた家の集落が点在しています。
ブルターニュ 大西洋に突き出した半島部で、北には英仏海峡が横たわっています。けると文化が息づく土地で、フランスの地方の中でも異彩を放っています。気候が温暖で、パリからもそれほど遠くないため、観光名所あるいはリゾートとして、人気を集めています。砂上にそびえる修道院、モン・サン・ミッシェルもここにあります。
ノルマンディ/ノール/ピカルディ フランス北西部、英仏海峡沿岸に広がる一帯です。ノルマンディは風光明媚な土地柄で、、セザンヌやモネらの画家達もこの地を選んだ。豊な自然にも恵まれ、農作物も豊富に収穫できます。りんごのブランデー、カルヴァドスもここが本場です。ノールとピカルディはフランスの最北端に位置しています。イギリスとベルギーの玄関口であるリールや、ゴシック様式の建物があるアミアンはその中心都市です。

フランスの歴史(パリの歴史中心)

〜フランス歴史年表〜
 BC3 パリ市遺族がして島に定住
BC58 カサエル、ガリア征服
 415 西ゴート、ガリアに侵入して西ゴート王国を建国
 476 西ローマ帝国滅亡
 481 グロヴィス、フランク初代王(メロビング朝)
 508 グロヴィス、首都をパリに定める
 732 イスラム帝国撃退
 751 小ピピン3世退位
 768 シャルルマーニュ即位
 800 シャルルマーニュ、再興西ローマ帝国退位
 987 ユーグ・カペー即位
1066 ノルマンディ公ウィリアム、イングランド征服『ローランの歌』完成
1096 第1回十字軍遠征
1154 アンジュー伯ブランダジネット家アンリ、英国王即位
1163 ノートルダム寺院の着工
1204 コンスタンチンノーブル占領
1302 三部会開催
1309 教皇のアヴィニヨン捕(〜77)
1328 英国王エドワード2世、フランス王位権承権主張 
    フリップ6世即位
1337 百年戦争勃発
1347 ペスト流行
1429 ジャンヌ・ダルク、オルレアン解放
1431 ジャンヌ・ダルク処刑
1494 イタリア戦争始まる(〜1559)
    フランソワ1世即位
1540 ユグノー派広まる
    ラブレー『ガルカンチュア』著す
1562 ユグノー戦争開始
1572 サン・バルテルミー大虐殺
1589 アンリ4世即位
1598 ナントの勅令、宗教戦争終結
1624 リシュリュー、宰相となる
1627 ユグノー派拠点・ロシエル、国王軍に包囲され降伏
    ランブエイ公爵婦人のサロン始まる
1637 アカデミー・フランセーズ設立
1643 ルイ14世即位。マザラン宰相に。
1648 フロンドの乱。
1661 マザラン死去、太陽王の治世。
1662 ヴェルサイユ宮殿造営
1672 オランダ戦争勃発
1685 ナントの勅令廃止
1693 大区作、飢餓始まる
1713 ユトレヒト条約調印
1715 ルイ15世即位
1748 モンテスキュー『法の精神』著す
1756 七年戦争勃発(〜63)
1763 パリ条約、カナダ植民地失う
1778 アメリカ合衆国を承認
1789 フランス革命起きる
1793 ルイ16世、マリー・アントワネット処刑
1794 テルミドール反乱
1804 ナポレオン皇帝即位
1806 神聖ローマ帝国終わる
1814 ナポレオン、エルバ島追放。ルイ18世即位。
1815 ワーテルローの戦い、ナポレオン、セントヘレナ島追放
1830 7月革命
1848 2月革命
1852 ナポレオン3世即位
1853 オスマン、県知事に就任。パリ大改造着手。
1856 パリ講和会議。
1871 パリ・コミューン宣言
1889 パリ万国博覧会。
    エッフェル塔完成
    ベル・エポック時代(〜1930)
1894 ドレフェス事件
1913 プルースト『失われたときを求めて』
1924 ブルトン「シュールレアリズム」宣言
1926 モロッコ民族反乱鎮圧
1940 パリ堕落、政府ヴィシーへ
1941 レジスタンス組織
1944 連合国軍ノルマンディ上陸、パリ開放。ド・ゴール政権発足
1945 仏領ベトナム、シリア独立
1946 インドシナ戦争(〜54)
    仏領インドシナ解放、アルジェリア戦争
1956 モロッコ独立、仏領アフリカ諸国独立続く
1959 ド・ゴール大統領就任
1969 ポンピドゥー大統領就任
1974 ジスカール・デスタン大統領就任
1981 ミッテラン大統領就任
1989 フランス革命200年祭
1995 シラク大統領就任
    

フランク王国樹立、首都パリの誕生

グロヴィス 465〜511
       (在位481〜511)
フランスは、1世紀の時代よりローマの植民地に甘んじていた。
そこに登場したのが、グロヴィスである。
彼は、481年より、フランク族の王位につき、ガリア全土
(現フランス)の統一を開始。
ロワール河以北を支配していた西ローマ帝国を滅ぼし、
486年にフランク王国を樹立した。
496年、妻クロティルドの感化から、王はカトリックに改宗。
それより、ローマ教皇やローマ系貴族からの支持も得、
ますます国を発展させていく事になる。
さらに、先住民であるケルト系パリシイ族
(このなから『パリ』と呼ばれるようになる)の住居地、
セーヌ河川のパリに首都を置く。508年の事だった。

中性西ヨーロッパの成立

シャルルマーニュ 742〜814
        (在位768〜814)
フランク王国の第2代国王となったシャルルマーニュは、
外征に力を注ぐ。
北は北海から南は地中海、西はピレネー山脈から
東は、エルベ川、ドナウ川中流域に至るまでの大領土を統一。
コレは、源氏のドイツ、フランス、イタリアの北半分を含む。
彼は、4世紀から始まったゲルマン民族大移動や旧西ローマ
帝国滅亡以来、各地で起きていた混乱を鎮め、
キリスト教の推進と共に、西欧に新しい秩序を創設していった。
州制をしき、行政、軍事、財政面での体制を整備、封建的
主従関係を結んで、中央集権的官僚国家の基盤を創った。
『ローランの歌』は彼の武勲詩。

魔女として火刑台に散った聖女伝説

ジャンヌ・ダルク 1412〜1431
現在もパリだけではなくフランスのいたるところにはジャンヌの像
が残っている。
フランス北東 部の貧しい農家に生まれた彼女は、13歳の頃に
『フランスを救え』という神の声を聞く。
時は15世紀初頭、百年戦争の真っ只中。
軍隊を率いた彼女は、1429年、オルレアン解放に成功、
シャルル7世の式を挙行させた。
勇敢な少女の姿が、人々の愛国心を呼び覚まし、
戦場は好転していったという。
しかし、彼女の名声をねたんだ王の側近の裏切りで、
英軍により、宗教裁判にかけられ、魔女として火刑に処された。
19歳の若さだった。のち、シャルル7世の命により、
復権裁判が行われ、1920年には聖女に列せられた。

ヴェルサイユ宮殿完成、豪華な時代の幕開け
ルイ14世 1638〜1715
       (在位1643〜1713)
5歳で即位、太陽王と呼ばれた14世。
王権に反対した貴族たちによって1648年、フロンドの乱が勃発。
年少だった彼は、摂政のマザランとともにこれをなんとか鎮圧。
その後、50余年の年月をかけ、
バロック式建設の枠をこらしたヴェルサイユ宮殿を建造した。
ここを王宮と定めた王は、造営半ばの1682年、多くの貴族たちを
引き連れて移り住む。宮廷内は、常に華やかさに包まれていた。
飽きる事のない娯楽の数々、豪華な晩餐会。
フランスはヨーロッパ宮廷文化の中心となっていった。

フランス革命に翻弄された悲劇の妃
マリー・アントワネット 
           1755〜1793
ルイ16世(1754〜1792{在位1674〜1792}の妃。
18世紀末に起こったフランス革命で、ギロチン(断頭台)で
処刑されたことは余りにも有名。
当時のフランスは政治への不満や財政危機をあえぐ市民であふれ、
国王に対する不満はピークに達していた。
そんな中、オーストリアから嫁入りしてきたマリー・アントワネットは、
ヴェルサイユ宮殿で、贅沢三昧の暮らしに興じていた。
実際の彼女は、王室育ちの世間知らずな王女に過ぎなかったが、
1つのパンにも困窮する生活を強いられていた市民にとっては、
たちまち憎悪の対象となってしまった。国王とともに国外逃亡を企てたが、
失敗。とらえられ、ギロチンの上でその生涯を閉じた。

近代フランスの基礎を築いた国民の英雄
ナポレオン1世 1769〜1821
       (在位1804〜1815)
ナポレオンは、当時フランス領だった、イタリアのコルシカ島生まれの軍人である。
圧倒的な軍事力を用い、フランス革命を終結させた。ヨーロッパ各地の遠征、
いわゆるナポレオン戦争を開始させた。戦場での彼は、冷静勝つ大胆な作戦で、
次々と勝利を収め、ついには皇帝の座までのぼりつめた。
『余の辞書に不可能という文字はない』の名文句は、アルプス遠征中に発せら
れたという。さらに彼は、近代フランスの基礎を創る政治手腕をも大いに発揮した。
1800年にフランス銀行設立。1804年には、個人の自由、法の前の平等などを
盛り込んだ『ナポレオン法典』を公布、これは19世紀における市民社会の確立、
近代資本主義の発展に重要な役割を果たした。

フランスを開放に導いた凄腕指導者

ド・ゴール 1890〜1970
       (在位1959〜1969)
第2次世界大戦初頭の戦時内閣の国防兼陸軍次官。
敗戦直前イギリスに亡命したド・ゴールは、1940年のフランス降伏と同時に、
ロンドンに『自由フランス政府』を樹立し、フランス国民のレジスタンス運動の
指導者となる。その後、連合軍とともにパリを開放、1959年には、戦後の
第5共和制の初代大統領となる。『フランスの栄光』を追い求めた彼は、
中国、ロシアとの協力外交、EEC,核開発などを推し進めてきた。
1966年には、NATO軍事機構を脱退。ベトナム戦争に苦しむアメリカの
西側陣営に対する軍事的指導権に大きな打撃を与えた。
しかし、学生や労働者を中心とした反体制運動の前に、
1969年退任、翌年死去。

第5共和制のフランス
英雄ド・ゴールの再登場 第二次世界大戦語、休むまもなくフランスが植民地との戦争に突入することになった。1946年には第一次インドシナ戦争が勃発。戦争は長引いたが、1954年のディエン・ビエン・フーの戦いでフランスは決定的な敗北を喫し、7月に停戦協定(ジュネーブ協定)が結ばれた。すると、フランスはすぐにアルジェリアとの戦争をはじめた。この戦争は世界で不興を買ったうえ、アルジェリアの革命勢力がフランス本土へ進撃する勢いを見せたため、それまでの政権は倒れ、1958年にはレジスタンスの英雄度・ゴールが政権に復帰した。ド・ゴールは大統領に強力な制限を与えた第五共和生を発足。自ら大統領に就任して、国政を立て直し、アルジェリアは独立を果たし、フランスの植民地時代も終わりを告げら。
“偉大なるフランスの復活”に腐心 米ソの2大国が覇権を争った冷戦下にあって、ド・ゴールが目指したのは“偉大あるフランス”の復活だった。米ソ、特にアメリカにたしては、徹底的に対立する構えを見せ、独自の外交を貫いた。1966年にNATO軍事機構から脱退してまで独自の核戦力の保持にこだわったのも、アメリカに対抗するためだ。この方針は、第五共和成4代目の大統領ミッテランの時代まで引き継がれる事になる。ヨーロッパにおいては、EC(ヨーロッパ共同体)の統合教化を発揮した。しかし、イギリスのEC加盟の要請は2度(1963年、1967年)にわたって否定。これはアメリカと密接な関係にあったイギリスの加盟により、アメリカの影響がECへ及ぼす事を懸念したためだった。
欧州統合のリーダー役を務める そのカリスマ性に加え、偉大な権限を持つ大統領の地位にあった事から、“共和制専制君主”とまでいわれた度・ゴールだったが、1968年には学生や労働者による5月革命の危機の直面。直後の選挙では勝利を収めたが、翌年の国民投票で破れ、退陣を良いなくされた。ド・ゴールの後を次いで大統領に就任したのポンピドゥーは、基本的にはド・ゴールの路線を継承し、経済対策に力を入れ、高度経済清涼を現出させた。対外的には、ド・ゴール時代よりも協調路線を打ち出し、アメリカやイギリスとの関係も好転していった。1974年からは、シスカール・デスタンが大統領の座につく。彼は”欧州指向”の強い大統領をいわれ、EMS(欧州通貨制度)をを積極的に推進するなど、更なる欧州統合に向けて尽くした。国内にあっては、婦人同盟担当相を創立したり、死刑廃止を決定して、民主化に勤めた。
社会党政権から再び保守党政権へ 1981年には社会党のミッテランが政権を奪収。政権の失敗により、一時的にはコアピスタシオン(保革共存政権)にもなったが、保守派の新政策は学生や労働者の反発を買い、かえってミッテラン人気を高めた。その結果、ミッテランは2期14年もの長きにわたって政権を維持する。外交面では、1900年の東西ドイツの統一でECも新たな局面を迎えた。ドイツの巨大化を防ぎつつ、“強いヨーロッパ”の覇者としていかにリーダーシップを取っていくかが、フランスの課題となった。1996年には、3度目の挑戦でシラクが念願の大統領の座を手に入れた。だが、就任後にムルロア環硫沖での核実験を再開し、世界の反発を買った。

フランスの民族と言語
ラテン語から生まれたフランス語 日本国民がすべて日本語を反すように、フランス国民もすべてフランス語を話す、と単純に考えがちです。しかし、現在のフランスでは、ある特定の地域に居住する少数人々に限られるが、バスク語やブルトン語などを話す人もいます。フランス語の起源はラテン語に求める事が出来る。紀元前2000年頃、イタリア語族の一派が南下してきて、イタリア半島中部のラティウム地方に安住しました。狩られらがラテン人です。紀元前7世紀ごろになると、ラテン人は都市国家を建設し始めました。その一つがローマであり、ローマはその後強大なって、ヨーロッパ大陸をその支配下に治めるようになりました。現在のフランスの領域(がリア地方)はもともとケルト人が住んでおり、ローマの支配下で、彼らが話す言語はケルト語の発音のうえにローマ人が話す口語ラテン語が組み合わさったものになりました。その後、ゲルマン民族の大移動が起こり、395にはローマ帝国が東西に分裂。ローマ帝国に変わって、ヨーロッパの覇者となったのがフランク王国です。フランク王国は9世紀に分割され、現在のフランス、ドイツ、イタリアの母体が生まれました。フランク王国の時代、ガリア地方の言語はそれまで“ケルト語の発音のうえにローマ人が話す口語ラテン語が組み合わさったもの”に、さらにフランク語の発音が加わりました。これが、現在のフランス語(オイル語)の起源といわれています。なお、フランス南部では、口語ラテン語がよく保存したかたちのフランス語(オック語)が使用され、オイル語圏とオック語圏の中間の性格を持つフランス・プロヴァンス語が話されています。
ケルト文化を保守するブルトン人 冒頭でも述べたように、フランスにはフランス語以外の言語を話す人がいます。ブルターニュ地方ではケルト系のブルトン語が使用されています。ケルト人は紀元前2000年頃にヨーロッパにやってきて、その後、定着した。だが、ローマ人やゲルマン民族の居住地を追われてしまう。わずかに残ったブリテン島やアイルランド島のケルト人も、ゲルマン民族の一部族であるアングロ・サクソン人によって、駆逐されました。このとき、一部のケルト人が侵略を逃れて、ブルターニュ地方に渡り、9世紀の中頃にブルターニュ公国を建国しました。その後、16世紀になって公国はフランスに併合されるが、併合後も人々はケルト系ブルトン人としての独自性を保ち、中央組織に反抗を試みました。19世紀以降、フランス国家はブルターニュのケルト文化を圧迫し、フランス文化に同化させる対策をとってきたが、ブルトン人たちはそれに屈することなくブルターニュ分離運動を進めています。
スペイン国境近くに住むバスク人 スペイン国境近く、ピレネー山脈の西側に広がるフランス・バスク地方では。約35万人の住民のうち約4万人がバスク語を話します。現在、ヨーロッパの総人口の実に95%がインド・ヨーロッパ後族といわれるが、バスク人だけはこれに属しておらず、彼らが話すバスク語もその系統は今だ明らかになっていません。バスク人のその多くがスペインに居住しており(約265万人)、ビルバオを中心に民族運動が展開されています。このほか、フランスでは、カタロニア語、コルシカ語、アンザス語などの言語が使われています。

フランスの街角と文化、芸術
モードの文化 パリは世界が認めるモードの中心地です。パリのモードには、フランス階級社会が大きく関係しています。経済力をつけてきたブルジョワ階級のに対し、貴族は自分達の身分を誇示するため、競うように豪華な織物や装飾で着飾るようになりました。また、ルイ14世はモードを国家産業とし、従事する商人への援助も行ったのです。そん中、マリー・アントワネットの元で、初の女性デザイナーが誕生する。一介の待ちも仕立て屋だったベルタン嬢は、王妃のおかかえデザイナーとなり、モード大臣にまでのぼりつめる、それまでモードの主役が男性だったのに対し、この頃からは女性の文化としての発展が始まりました。可愛らしくコケッシュのものが好まれ、柔らかい色調の服、コルセットでコンシャスされたウエスト、スカートを広げるバニエが登場した。髪を頭頂で小さくまとめるシニョンなどもこの時代に流行したのでした。
第一次世界大戦後、多くの職場が女性に開放され始め、歴史に残る偉大な女性デザイナーが誕生します。1914年、帽子職人から服飾デザイナーへと転進した
ココ・シャネルです。着心地のよさを求めていた女性に対し、彼女は、下着の素材だったジャージーやツィードを使用した簡素なスタイルのツー・ピースを発表しました。これがかの有名なシャネル・スーツの誕生です。シャネルは他のオーとク・クチュールのデザイナーと異なり、自分のデザインが模倣される事を厭いませんでした。モードが大衆の中で生成される事を知ったのです。貴族やブルジョワ達の間で生まれ、育てられたモードの精神が、シャネルの手によって民主化されたといっても過言ではありません。同時期の女性デザイナーに、ランバンスキャバレリらがあげられます。今日のフランス・モード界に残した彼女達の功績は少なくありません。
カフェの文化 パリの街角を象徴する風景の一つ、カフェ。その誕生は、17世紀中頃にまでさかのぼります。この頃、フランスに2つの新しい嗜好品がはいってきました。一つは、チョコレート(現在でいうココアのようなもの)で、スペインから来た王妃、アンウ・ドートリシュによって宮廷に持ち込まれました。そして、もう一つがコーヒーです。コレは国交が樹立されたばかりのトルコから、1669年に着任した大使によって紹介されたものでした。もともとコーヒーは、アラビア半島からカイロ、コンスタンチノーブルを経て、ヴェネツィアからヨーロッパに入ったものでした。
コーヒーはすぐに一般大衆の間にも広がり、街にはコーヒーを飲ませる店、
カフェが登場したのです。現在はレストランとなった、現存する最古のカフェ『プロコープ』も1886年に誕生しています。その後、パリのカフェ文化はすっかり定着し、19世紀中頃から20世紀前半には、芸術・思想の拠点として役割をも担い始めたのでした。世界から集まった才能あふれる芸術家や思想家たちは、好んでモンパルナスのカフェに集まり意見を交し合ったといわれています。現在は、観光客で埋め尽くされたカフェですが、時に討論好きのフランス人たちが熱く意見を交わしている姿も見られルのも文化の一つです。
ヨーロッパの先進国 フランスといえば文化の国、フランス語は世界で最も美しい言語であるという定評があります。その位置は西ヨーロッパの中央を占め、西と南は海洋に開き、東は大陸につながり、いずれの方向からも優れた文明を受け入れやすく、まさに文明の十字路をなしています。氏かも、国土は十分な広がりをもっているので、外から導入した文明を独自なものに熟成させることが可能でありました。
ラスコーの洞窟壁画は、スペイン北西部のアルタミラのものと並んで数万年前の旧石器時代の代表美術で、人類最古の美術作品とも言えます。紀元前1世紀後半以後、南フランスを中心にガロロマン文明が栄え、ニームの神殿と闘技場、アルルの闘技場、ポン・デュ・ガールの水道橋など多くの建築物が現存しています。
フランスでは11世紀から12世紀前半にロマネスク建築が全盛となり、やがて独特なゴシック様式を生み出しました。ゴシック美術を代表するのは都市の中心にそびえたつ大聖堂であります。このゴシック様式こそ最初のフランス芸術の開花でした。
13世紀のパリはヨーロッパ最大の都市であり、パリ大学は最高学府でありました。ゴシック様式の最初の大聖堂はパリを中心として半径150km以内に集中しています。12世紀後半に始まる
パリのノートルダム大聖堂、13世紀のシャトルランスの大聖堂、パリのサント・シャペルボーベ大聖堂など北フランスに始まったこの建築様式はやがてヨーロッパ全土に広がっていきました。
17世紀古典主義文学から19世紀ロマン主義文学へ 1635年ルイ13世の宰相リシュリューによりアカデミー・フランセーズ(学士院)が創設され、フランス語が擁護され始めました。フランス哲学の父といわれるデカルトは合理主義を唱え、同じに近代科学の父でもあります。デカルトは劇作家コルネイユ、文法家ヴォージュラらとともにフランス古典主義の開花を準備したのでした。
ルイ14世の時代には、パスカル、モリエール、ラ・フォンテーヌ、ラシーヌ、ボワロー、ラ・ファイエット婦人などに代表される古典主義文学が華やかに登場し、17世紀末には自由思想家も多く登場しました。18世紀はモンテスキュー、ヴォルテール、ディドロ、ルソーら哲学者、啓蒙思想家の盛期であり、フランス文化が矛盾を抱えながら、全ヨーロッパに君臨する貴族文化となり、やがて市民革命を招来する事となりました。
19世紀前半に開花したロマン主義以降、フランス文学はますます多様化し、絢爛たるものとなっていきました。


近代美術から現代美術へ
19世紀はフランス美術にとっても大金時代であります。前半には新古典主義のアングルとロマン主義のドラクロアらが良い作品を残しました。19世紀中旬になると『自然に帰れ』という主張を掲げる画家たちが、フォンテーヌブローの森の近くの寒村バルビゾンに集まって絵をかいたのでした。コローやミレーに代表されるバルビゾン派の絵は、超俗的で詩情が漂い、日本人にも好まれるが、もっと現実的な絵を書いたクールベやドーミエも同時代であります。
クールベの客観的自然主義から、主観的自然主義へ移行したのが印象派の画家たちです。彼らの第1回展覧会は 1874年年に無名協会展としてパリで開かれたが、第3回天のモネの作品から批評家が揶揄的に付けたのが、印象派の名のおこりといわれています。『草上の昼食』で知られるマネは印象派の庇護者です。印象派の主な画家は外光派のモネ、ピサロ、シスレーらと、人物の瞬間的な印象を描いたドガ、ルノアール、ベルト・モリゾらです。
印象派以外の19世紀後半の画家としてギュスターヴ・モローとロートレックが注目に値します。彫刻の分野ではロダンの残した業績が偉大です。
19世紀になると、印象派の物質主義から脱却して、新しい精神領域を絵画の世界に展開したゴッホ、ゴーギャン、セザンヌの後期印象派が出現しました。セザンヌの芸術は20世紀の現代絵画へ多大な影響を残しました。写実主義の技法をさらに科学的に理論化し、点描主義を生み出したスーラーとシニャックは新印象派と呼ばれています。
20世紀になると、パリ画壇はフォーヴィズムやキュービズムを生み出し、第一次世界大戦中に中立スイスのチューリヒで生まれたダダイズムを吸収し、シュールレアリズムを醸成させました。
エコール・ド・パリという事場が燦然と輝いたのは第2次世界大戦前までで、1960年以降は、パリが世界の芸術をリードする事が少なくなってきているのは事実です。
珍味かゲテモノか 変化に富んだ国土が各地に豊な山海の珍味の特産物を産み出し、その素材の味を最大限に引き出した多くの調理師たちのたゆまぬ努力によって、フランス料理は味の芸術品と称えられるまでになりました。名コックともなればレジオン・ドヌール勲章を授与されるお国柄であります。そしてこの神業ともいえる味覚を心ゆくまで楽しもうとする味覚指向は、貴族や金満家だけではないのです。一般庶民も、フランス人は『働くために食べる』とのではなく『食べるために働く』のです。こと食べる事に関しては決して時間と労力を惜しみません。
シャトーで生まれるぶどうの芸術

祝日とイベント

祝祭日
2001年の祝祭日 (*は毎年変わる移動祝祭日カッコ内は2000年の月日)   
01/01 元旦
Jour de l'An
06/03
(06/11)
*聖霊降臨祭
Pentecote
04/15
(04/23)
*復活祭
Paques
06/04
(06/12)
*聖霊降臨祭の翌月曜
Lundi de Pentecote
04/16
(04/24)
*復活祭の翌月曜日
Lundi de Paques
07/14 革命記念日(パリ祭)
Le Quatorze Juillet
05/01 メーデー
Fete de Travail
08/15 聖母被昇天祭
Assomption
05/08 第二次世界大戦終戦記念日
Arnistice1945
11/01 万聖節
Toussaint
05/24
(06/01)
*キリスト昇天祭
Ascension
11/11 第1次世界大戦終戦記念日
Amistice
12/25 クリスマス
Noel
☆祝祭日の注意☆
フランスの祝祭日は、銀行や郵便局をはじめ、デパート、ショップ、レストランも
休業するところが多い。また、復活祭、夏季のヴァカンス、クリスマスには、
ホテルでさえも長期休暇を取ることがある。さらに注意したいのは、祝祭日が
火曜や木曜になった場合、週末に挟まれた月曜や金曜も休日となるという事、
このような日は、営業時間や鉄道のダイヤも祝祭日シフトを採用する。
イベント
3月 ・秋冬コレクション
・パロックコンサート(ヴェルサイユ)
7月 ・パリ祭凱旋門パレード
・ツール・ド・フランス自転車レース
 (フランス全土)
・ラ・ヴィレッド・ジャズフェスティバル
4月 ・パリマラソン(毎年第1日曜) 10月 ・凱旋門賞(毎年第1日曜)
・パリ・ドーヴィル(パリ〜ドーヴィル)
・春夏コレクション
・モンマルトルのフドウ畑で収穫祭
5月 ・ジャンヌ・ダルク祭 オルレアン
・ローラン・ガロス全仏テニス(パリ)
・サッカーフランス選手権
12月 クリスマス・イルミネーション
6月 ・中世祭(イル・ド・フランス)
・ディアーヌ・エルメス杯(シャンティ)
・音楽の日(フランス各地)
・パリ・グランプリ(ロンシャン競技場)
・パイプオルガンコンサート
・ギャルソンレース大会(パリ)
・音楽祭(ランス)

建築様式
ロマネスク様式 11〜12世紀に発展したキリスト教様式。ローマの半円アーチが構築様式で、ロマネスクには『ローマ風の』という意味が含まれている。天井を支えるため、壁が厚く、大きな窓がとれなかった。それにより内部はほの暗く、幻想的な空間を作り出している。壁は、旧約聖書や啓示録から題材を取った、絵画や彫刻で装飾されている。代表的な建造物は、サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
ゴシック様式 12世紀中ごろから15世紀に発展した、フランスが起源の様式。尖塔アーチを交差させる事で、天井の重量が分散され、より高く、広くなった。天井を支える必要がなくなった壁は薄くなり、窓がとられ、ステンドグラスがはめ込まれた。コレにより堂内は神秘的な光で満たされるようになった。また、ゴシック後期には、フランボワイヤンと呼ばれる火災をかたどった透かし彫りが窓枠に多用されるようになる。 代表的な建造物は、ノートルダム・ド・パリ寺院、サントシャペル、サンジャック塔。
ルネッサンス様式 イタリアで始まったルネッサンス様式。フランスでは15〜16世紀、宮殿、貴族趣味の強い優美な様式として発展した。建物全体は横に長く、入り口は中央に置かれ、全体の協調と均整を意に注がれている。代表的な建造物は、サンテティエンヌ教会、サントゥスタッシュ教会、ルーブル宮殿やロワール流域のブロア城、シャンポール城など。
バロック様式 17世紀、ルイ王朝下で熟成された貴族文化とあいまって、自由な発想と力動感があふれるバロック美術が生み出された。建築、装飾、絵画、彫刻などが一帯となり、統一的な美を生み出す。最大の特徴は、人間の感覚に訴えかけるような手法。バロック様式特有の天井画は、見上げる人の立つ位置も考え、遠近法を誇張している。ヴェルサイユ宮殿はその代表例で、豪華絢爛の鏡の間は、バロック様式の最高傑作の一つ。
今も昔も花の都『パリ』
広さと人口 パリ市の面積は、約105平方キロメートル。南北9.5km、東西12km。体力さえあれば、端から端まで歩けない事はありません。市内を横切るセーヌ川は13kmです。海抜は26m、モンマルトルの丘で115mの高さです。人口は16世紀半ばに26万人だったものが、革命頃には60万人に増え、すでにヨーロッパ一の大都市となっていきました。今日、住民が最も多いのは、南西の住宅地、少ないのは中心の商業地です。最近では他の都市同様、近郊に住み、毎日電車で中心部に通勤する人達が多いです。
中心部と周辺部 パリ市はルーブル美術館辺りを中心にして半径3kmほどの円を描くと、円内はほぼ繁栄街と呼ばれる部分が収まり、その外側が住宅街、そして東西には2つの森が広がります。繁栄街は、シャンゼリゼ、オペラ座界隈、サンジェルマン・デ・プレ、レ・アル、バスティーユ、マレ、モンマルトルなど。最近、バスティーユの界隈が北上し、オーベルカンフ通りが小粋なナイトライフの中心になっています。歓楽街のモンマルトルには、バーをはじめとした風俗産業も今なおありますが、流行先端の店が増え、若者達も戻ってきました。市民が自然に親しみ休日を過ごすのは、隣接する森。西にブローニュ、東にヴァンセンヌの森があり、いずれも森に面した地域は高級住宅地です。凱旋門から北西にまっすぐ延びた道の先がラ・デファンス。車道や電車はすべて地下で、地上は歩道のみという空間です。グランダルシュ(新凱旋門)をはじめ近代建築のビルが林立し、企業と住宅の混合シティとなっています。
セーヌ川を挟んで右岸左岸 東南から西南に向かって弧を描くように流れるセーヌ川はパリを右岸(北側)と左岸(南側)に分かれていて、それぞれのエリアに大きな特徴があります。右岸はビジネスの中心地で、企業は中央部に集中しています。『右岸に住んでいる』といえば、主に高級住宅地である北西部の住人を指します。左岸は文化、芸術の中心地左側中心部はゾルボンヌ大学など名門校が集まり、ブティックが軒を連ね、高級骨董品店やギャラリーが集まっています。高級志向の右岸派、小粋で文化的な生活を好む左岸派と住民の個性も違い、お互いに相入れません。半ばふざけてですが、それぞれ『価値観が違うからセーヌ川は越えない』と考えています。特に左岸派はより敵対意識が強く、『カネより心』というようなことを言いたがります。政治の左派の言を借り、『心は左に、財布は右に』などと表現したりもします。なお、右岸左岸で表す場合は、パリ中心のみをいいます。


20区
中心の1区から、右回りにらせんを描いて20区に分割されています。パリが20区として形成されたのは、1860年ごろです。オスマン男爵の都市計画に沿って、それまでの12区に、さらに現在のパッシー、オートゥイユがある16区、バニョレがある20区などを加えて全20区となりました。この中を通り(Rue)や並木通り(Avenue)などが横断無尽に走っています。ちなみに、パリで一番長い道は、6区から15区に抜ける4.3kmのヴォージラール通り(Rue Vaugirard)、一番短い道は2区の衣料卸売街にあるデ・ドゥグレ通り(Rue des Degres)の5.75mです。
・1,2,3,4,8,9区はビジネス・商業の中心地 1区はサントノレ通りやレ・アルなどファッションブティックが多く、2区は証券取引所を中心に証券、保険会社が集中しています。3,4区はモード中心。服地や衣類の卸売店が集まり、世界中に流行を発信しています。この界隈に来れば、来シーズンの流行が手に取るように分かるほどです。8区はビジネス街と高級住宅地。商業地区9区は閑静なブルジョワ邸宅街でもあります。
・5区から7区は『パリの左岸』を指す 有名校の集まる5区と、サンジェルマン・デ・プレのブティック街のある小粋な6区には、映画観や書店も多いです。5区と6区の出合う、サンミッシェル大通りの東側、サンジェルマン大通りとの交差する一帯が、カルティエ・ラタンと呼ばれます。7区には骨董店が多く文化的で、高級住宅地もあります。5区から7区がいわゆる左岸。
・10区から15区の庶民の暮らしがある 北駅、東駅のある十区の下町の雰囲気で、サンマルタン運河のほとりは古き良きパリの風景です。11区も下町ながら最新流行のカフェバーが増え、今最も目が離せない地区です。12区はひっそりとした住宅地、パリの庶民の生活があります。13区には大きな中華街があり、アジアのエネルギーに満ちています。モンパルナスを擁する14区は、今も昔もアーティストに愛され、アトリエが並んでいます。15区は、パリで最も人口の多い地区。長年住んでいる年配の庶民と、家庭を持った若いブルジョワ子弟達が行き交う住宅地です。味のいい小さなレストランも多いです。
・16区から20区は右の住宅地 高級住宅地の多い8区と9区と16区、中上流の17区。ことに17区は、高級レストランのセカンドメゾンなど、グルメ垂涎の店が集まっています。モンマルトルを中心とする18句は、歓楽街と趣ある街並みの両面を持ちます。19,20区は、移民も多い庶民的な街。19区のビュット・ショーモン公園付近には、パリに珍しく一軒式の住宅郡もあります。
パリジャンの抵抗精神
パリ・モード

ラヴェンダー(ラヴァンド)の花の咲く丘『プロヴァンス』
プロヴァンスの風物
香りの宝石

フランス国内交通
鉄道について フランスは鉄道先進国の一つで、鉄道が大変発達しています。
国鉄はSNCF(Societe Nationale des Chemins de Fer France)といい、パリ中心に放射状に通っています。
地方間は以外と不便な事もあり、パリに1度戻ったほうが早いこともあるようです。
発車時刻は正確ですが、発車を知らせるベルもアナウンスもないので注意しましょう。
フランス国鉄ホームページでは時刻表の検索が出来ます。
TGV(テージェーヴェー) 超高速列車(train a Grand Vitesse)の略です。
1981年に最初の路線が開通しました。
最高速度は300km(開通当時は270km)です。
ただし、TGV専用路線ではなく、従来路線をそのまま利用する路線も多いので、その場合スピードはそれほど出ません。
パリのド・ゴール空港にも載り入れているので、パリの発着駅に行かなくても利用ができるようになりました。
TGV北線の場合、パリのノール駅から乗車した場合はリール方面行ですが、ド・ゴール空港から乗車すればブラッセルまで行く事が出来ます。
全席指定席で予約が必要ですが、最近は予約がなくても乗る事が出きる席も若干用意しているようです。
TGVの1等を利用する場合、チケット入手時に頼んでおけば、飛行機のように座席まで食事を運んでもらえます。
原則、7時〜8時30分が朝食、11時30分〜13時30分が昼食19時〜20時30分が夕食のサービス時間ですが、自分の乗車するTGVが該当するものか確認が必要です。
TGV Thalys (SNCF)のホームページです。
EUROSTAER(ユーロスター) 94年11月14日に運行開始。
黄色とブルーの車体の新幹線で、パリとロンドンを3時間で結びます。
ユーロトンネル内は時速160km、フランス国内は時速300kmで走行。
パリとロンドン間は時差があるので、パリ→ロンドンは4時間、ロンドン→パリは2時間、となります。
Eurostar (SNCF) のホームページです。
THALYS(タリス) 96年6月に開通したパリとブラッセルを1時間25分で結ぶ新幹線。
ワインレッドの車体が目印です。
その他の列車 ユーロシティ(Euro city)、インターシティ(Inter City)など国際特急、ラピッド(Rapide)、エクスプレス(Express)などの急行が運行しています。
パリの発着駅
パリの発着駅 方面
TGV SUD-EST(南東線) リヨン駅/ド・ゴール空港 リヨン・グルノーブル・マルセイユ・ニース・ジュネーブ 最初に開通した路線でオレンジの車体が目印
TGV ATLANTIQUE(アトランティック線) モンパルナス駅/ド・ゴール空港 レンヌ・トゥール・ボルドー・トゥールーズ
TGV NORD EUROPE(北線) ノール駅/ド・ゴール空港 リール・ブラッセル
EUROSTAR(ユーロスター) ノール駅 ロンドン
THALYS(タリス) ノール駅 ブラッセル・アントワーオウ・アムステルダム・ブリュージュ・ケルン
チケットの購入 パリ、マルセイユからの近距離線は自動販売機で。
遠距離線は通常は窓口で購入しますが、TGVは自動販売機でも購入できます。
英語を話す係員はバッチをつけています。支払いはカードでも可能(VISA)。
改札 日本で見るような改札は普通ありません。
ホームの入り口にオレンジ色の機械で乗車日付を押すことが義務付けられています(コンポスタージュcompostageといわれる)。
これを怠ると正規の切符であっても有効になりません。
ユーレイルパスやフランスヴァカンスパスなど、各種パス類は不要ですが、TGVなどの座席指定券も日付印が必要です。
改札がない変わりに車掌の車内検札が必ずあります。
このときコンポスタージュがないと無賃乗車扱いとなり、罰金を取られるときもあるので要注意!!
時刻表 日本のような形式ものは一般的ではありません。
駅に名刺大に折りたたまれた。路線ごとの時刻表が置いてあり、無料で持っていく事は出来ますが、これだと路線と路線のつながりがわかりにくいかもしれません。
より詳しい時刻表は駅のインフォメーションで直接訪ねましょう。
また、ホームや駅構内にはその駅発着の時刻が掲示してあります。
予約 夏のヴァカンス時期、春の復活祭の時期などで人気観光地に行く路線以外はほとんど予約の必要はありません。
ただし、TGVは予約をしないと乗車できません。
予約がない席は『Non Reserve』の表示があるか空白になっているので、指定ナシで乗車しても座る事が出来ます。
通常列車 予約は2ヶ月前から列車が始発駅を出発する2時間前まで。予約料金は20フラン。
座席指定 TGVなど全席指定の列車は発車時刻直前までに購入可。
急行の予約の席には座席の背または壁に予約区間が表示されています。
予約がない席は『Non Reserve』の表示があるか空白になっているので、指定なしても乗車しても座る事が出来ます。
夜行を利用するとき 寝台車には2種類あります。
ただし、すべての夜行列車に1等個室から2等簡易寝台まであらゆる寝台車が揃っているわけではありません。
国境を超える場合は、パスポートを車掌さんに預けます。
また、2等の座席には“お座敷列車”のように座席を倒す事が出きるものもあります。
料金体系 乗車券の運賃は以下のように計算することが出来ます。
日本のように特急券はありませんが予約席には予約料が加算されます。
運賃=距離×A+基本運賃
例:100kmの2等は、100×0,5962+17,64=77フラン 
距離 基本運賃
1等    2等
kmあたりの運賃A
1等    2等
0km〜6km
9km〜36km
37km〜79km
80km〜149km
150km〜249km
250km〜389km
390km〜599km
600km〜899km
900km〜1299km
1300km〜9999km
9,51
5,4
19,35
26,46
47,01
67,53
94,02
129,18
172,86
220,11
6,34
3,6
12,9
17,64
31.34
45,02
62,68
86,12
115,24
146,74
0,5004
1,3314
0,9732
0,8943
0,7557
0,6732
0,6054
0,5466
0,4976
0,4605
0,3336
0,8876
0,6488
0,5962
0,5038
0,4488
0,4036
0,3644
0,3316
0,3070
(1998年8月現在)

主な都市間の距離
パリ⇔トゥール 235km パリ⇔マルセイユ 863km
パリ⇔ニース 1088km パリ⇔ボルドー 581km
パリ⇔ストラスブール 503km パリ⇔ディジョン 315km
パリ⇔トゥールーズ 838km パリ⇔レンヌ 374km
パリ⇔リール 258km パリ⇔リヨン 512km

その他の料金
3歳以下 無料(4〜11歳は大人の半額)
予約料金 20フラン
簡易寝台車 90フラン
寝台車 259〜907フラン
家族かしきりコンパートメント(2等のみ) 昼間→160フラン 夜間→540フラン
パス 必ず日本で購入します。
フランスヴァカンスパスはフランスでも購入できますが、困難な事があります。
ユーレイルパス 西ヨーロッパ各国の国鉄を自由に乗ることが出来ます。
年齢や旅行形態によってユーレイルパス、ユーレイルユースパス、ユーレイルフレキシーパス。ユーレイルセイパーパス、と4種類の中から選びましょう。詳しくはお近くの旅行代理店へ・・・。
ユーロパス 購入時に使用する国および時期を指定します。
基本は5カ国で乗り放題になります、詳しくはお近くの旅行代理店へ・・・。
フランス・バカンス・パス フランス国鉄全線に乗り放題。
スイスのジュネーブまでも利用できます。
TGV利用の場合は予約料金を追加すれば利用できます。
19時以降出発の夜行は翌日扱いになります。
通用は3〜9日間の7種類。
使用開始から1ヶ月以内の任意の指定日数に有効で、連続でも、日にちを置いて飛び飛びでも可能です。
またユーロスター割引の特権(2等38%、1等29%)があります。
割引切符 フランスには学生割引はありませんが、日本にはない様々な割引切符が発行されています。
有料のものと自動的に割引が受けられるものがあります。
有料のものは有効期限が1年あり、フランスに在住していないともとが取りにくいでしょう。
また、これらを利用するには、以下のフランスの料金システムを理解しなければなりません。
@ TGVは正規料金、割引料金が2種類あることがある。
これはTGVの出発する時間・曜日によって、いずれかになる。
路線、等級によって1種類しかない場合もある。
A TGV以外のすべての列車は、1等2等共、出発する曜日、時間によって『青の時期』と『白の時期』に分けられている。
自分の利用する列車がどちらの色の時期に出発する列車なのか確認しないと割り引き比率が異なってくるか、割引が適応されない場合もある。
B 割引適応の座席には枠があり、売りきれた場合は正規料金を払う。
有料カード(割引のため)
12‐25カード 12歳から25歳が対象。料金270フラン。写真が必要。
このカードの所有者は・・・
‐TGV→すべて25%〜50%割引で購入できる。
‐TGV以外の列車→『青の時期』に出発する列車の乗車券を50%割り引き、『白の時期』に出発する列車は25%割引で購入できる。
シニアカード 60歳以上が対象。料金285フラン。
1年間有効。記名式で写真つきの身分証明書(パスポートなど)および写真が必要です。
‐TGV→すべて25%〜50%割引で購入できる。
‐TGV以外の列車→『青の時期』に出発する列車の乗車券を50%割り引き、『白の時期』に出発する列車は25%割引で購入できる。
‐30%割り引き→以下の国への切符を購入するとき
(ドイツ、オ^ストリア、ベルギー、クロアチア、デンマーク、スペイン、フィンランド、イギリス、ギリシャ、ハンガリー、アイスランド、イタリア、ルクセンブルグ、ノルウェー、オランダ、ポルトガル、チェコ、ルーマニア、スロバキア、スロヴェニア、スウェーデン、スイス)
子供カード 12歳未満の子供を連れている大人1名から4名が対象。
血縁関係は必要ありません。
4歳未満の子供でカードを所持している場合、乗車券は無料でなおかつ座席を一つ占めることが出来ます。
料金350フラン。1年間有効。
写真付きの身分証明証(パスポートなど)および写真が必要です。
‐TGV→すべて25%〜50%割引で購入できる。
‐TGV以外の列車→『青の時期』に出発する列車の乗車券を50%割り引き、『白の時期』に出発する列車は25%割引で購入できる。
バンバンカード 4歳未満の子供も1座席占める事が出来ます。料金50フラン。
無料割引
二人旅割引
(Decouverte a Seux)
二人で同じ旅行を往復する場合、割引を受ける事が出来ます。
‐TGV→25%割り引き
‐その他の列車→『青の時期』に出発するもの、25%割り引き。
往復割引
(Decouverte Sejour)
最低200km以上の往復をし、勝滞在が土曜日の夜から日曜日を含む場合に有効。
1等2等共、可。
‐TGV→25%割り引き
‐その他の列車→『青の時期』に出発するもの、25%割り引き。
デクーヴェルト・12‐25 12歳から25歳の若者は自動的に以下の割引が受けられる。
‐TGV→25%割り引き
‐その他の列車→『青の時期』に出発するもの、25%割り引き。
デクーヴェルト・シニア 60歳以上であれば自動的に以下の割引が受けられる。
‐TGV→25%割り引き
‐その他の列車→『青の時期』に出発するもの、25%割り引き。
デクーヴェルト・子供 12歳未満の子供を連れているときは自動的に以下の割引を受けられる。
血縁関係は必要ありません。
子供自身の料金は大人正規の半額、さらに1座席占める事が出来ます。
‐TGV→25%割り引き
‐その他の列車→『青の時期』に出発するもの、25%割り引き。

ヨーロッパ単一通貨・ユーロ 欧州連合(EU)加盟国のうち、12カ国(2001年1月1日より、ギリシャの加盟が決定)の共通通貨で、
ヨーロッパ経済の安定と発展の目的で発案されました。
1999年より、為替レートや価格表示に導入されているので、もうおなじみですが、
実際にユーロ貨幣が市場に出回るのは、2002年1月1日からです。
そして2002年中には、各国の従来の貨幣はすべて回収される予定です。
ちなみにフランスでは2002年2月14日まではフランの利用が可能です。
しかし、お釣りは”ユーロ”で帰ってくるので、レジの前にはずら〜と並ぶ事でしょう。
また、2002年1月2日に、銀行のストライキが行われるとうわさが広まっていますので、
2001年になる前に少し余分にお金を所持しているとよいと思われます。

貨幣デザインは、既に1997年に公表されています。
硬貨は、8種類です。
1、2、5、10、20、50ユーロ・セント及び1、2ユーロ
このうち、20ユーロ・セントに限りSpanish flowerという形をしています。
紙幣は、7種類。5、10、20、50、100、200、500ユーロ
紙幣は各国共通ですが、硬貨に関しては、表が共通デザイン、裏は国によってデザインが様々になります。

◆硬貨デザイン(裏面はフランス版)
http://www.euro.gouv.fr/pieces_billets/pieces/index.html

◆紙幣デザイン(12カ国共通)
http://www.euro.gouv.fr/pieces_billets/billets/index.html

また、ユーロ・セントについては、各国で呼び方を変えても構わないそうです。
たとえば、フランスならば、『ユーロ・サンチーム』、ドイツならば、『ユーロ・ペニッヒ』などなど…です。

日本円とユーロ間は変動相場制ですが、上記12カ国の通貨とユーロ間の為替は次の表の通り、
既に固定されています。(http://pacific.commerce.ubc.ca/xr/euro/より抜粋)
1ユーロ=6.55957フランスフランということになります。

Euro 換金レート(固定) 国名 通貨 1 euro =
France(フランス) FRF 6.55957
Austria(オーストリア) ATS 13.7603
Belgium(ベルギー) BEF 40.3399
Finland(フィンランド) FIM 5.94573
Germany(ドイツ) DEM 1.95583
Greece(ギリシャ) GRD 340.750
Ireland(アイルランド) IEP 0.787564
Italy(イタリア) ITL 1936.27
Luxembourg(ルクセンブルグ) LUF 40.3399
Netherlands(オランダ) NLG 2.20371
Spain(スペイン) ESP 166.386
Portugal(ポルトガル) PTE 200.482

さらに詳しいユーロ情報は、次のサイトをご覧になってみてはいかがでしょうか?
(英または仏サイト)
http://pacific.commerce.ubc.ca/xr/euro/

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